2007年01月09日

「ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則」ジェームズ・C・コリンズ

いわゆる経営書の類で、しっくりくるものは僕の場合まれです。
「それってそのときだから通用しただけだろう」って論を展開してみたり、実証とかいいつつ、実際のところその仮説の実証にはなっていないようなデータを並べてみたり(これに結構騙されやすいのですが)。

「経営・事業に資する」という本来のミッションから離れ、「俺の説っておもしろくね?」みたいな匂いのするものがあふれかえっている気がするのです。
もちろん、部分的に使えるアイデアはあったりしますが。

そんな中、この本は、真摯に実証を積み上げており、しかも結論が実にしっくりきました。
(願わくば、もう少し実際の実証的説明が欲しいところ。僕のような疑い深い人間には特に。一般向けの本では無理なんでしょうけど。)

この本の問題意識は、「凡庸な企業が偉大な企業に飛躍した例から、その要因を抽出する。そのために凡庸のまま終わっている同種の企業と比較する」という点。
(もちろん、「凡庸」「偉大」などは、客観的な基準が設けられています。)

調査の過程で、一般に考えられている常識や施策とは、違う結果が発見された、ということを数多く例示してくれます。

例えば、
−著名で派手なリーダーが外部から乗り込んできたことは、偉大な企業への飛躍とはマイナスの相関になっている。
−経営陣の報酬形態は、飛躍とは一貫した関係が見つからない。
−経営戦略の確立は、飛躍と凡庸において違いは見つからない。
−飛躍した企業は、「なすべきこと」と同様、「してはならないこと」を重視している
−技術は飛躍を促進することはできるが、飛躍そのものを生むことは出来ない
−M&Aは、飛躍には無関係
−飛躍した企業は、従業員の管理・動機付けにほとんど関心を払っていない(払わなくていい人物を最初から選んでいる)。
−飛躍した企業が、飛躍した産業に属しているわけではない
−飛躍した企業が、凡庸な企業以上に「働いている」形跡はない
・・

これらの発見は、みなが常識だと信じて現在も一生懸命、時間・カネ・労力を賭けて取り組んでいることと相容れないことも多いのではないでしょうか?


結論として、飛躍のカギは、
−派手な天才が率いるのではなく、謙虚だがなすべきことを実行できるリーダーシップ(第5水準のリーダーシップ)
−最初に人を選び、目標は後から選ぶ
−厳しい現実を直視するとともに、勝利への確信を失わない
−「自社が世界一になれるもの」「経済的原動力になるもの」「情熱を持てるもの」の3つを満たしているものしかやらない(針鼠の概念)
−規律の「文化」が重要で、管理しなければならないような人材は始めから採らない
−あくまで促進剤としての技術
−大きく派手な革新ではなく、地道な前進が好循環を生む

僕なりに言い換えると、
派手な天才は、派手な天才が去った後の成長を確保できない。
継続した価値創造には、「文化」が非常に重要で、短期のターンアラウンドはあくまで短期に必要な場合のものと考えるべき
何をやるかではなく、誰がやるか(誰にやってもらうか)が重要。
自社に有利な分析をしない。一方で、過度に悲観的になってやる気を失わない。
事業ポートフォリオ的考えは、「情熱」を無視しないよう必要最小限にとどめる。
技術オリエンテッドはマズイ(いずれ真似されるので)

要するに、奇をてらった施策が飛躍を生むことはなく、当たり前のことを当たり前に実行できることが大事だということ。

これらは、DCF的企業価値創造に見事にマッチする概念な訳です。
このあたりは、長くなるのでまた今度。

タグ:経営書
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2006年11月27日

「エキスペリメンツ7−団塊の7人」堺屋太一著





団塊の世代の今後は、日本の経済に大きなインパクトを与える。
僕は、彼らの持つ知識、知恵、技術、人脈、経験を眠らせるのはもったいないと思っている。
ただでさえ、日本は人口が減る高齢化社会へ驀進するのだし。
それに、金持ってる彼らは、マーケティングとしても存在感のある購買層。

さらに僕は、地方経済をいかに活性化するか、ということにも興味がある。
僕の地元の商店街は、このありさまだ。
この物語の商店街は、東京が舞台になっているが、共通点は多い。

この本は、団塊の世代の人たちが、年齢的に様々な葛藤を抱えながら、商店街再生プロジェクトを進めていく物語。
団塊の世代の活躍、地域経済活性化という二重の意味で琴線に触れ、手に取った。

感想。
やっぱこのおっさん、さすがだ。
時代を先取りする感覚もさることながら、様々なアイデアがちりばめられている。
一時期、幸田真音さんの小説を連荘で読んだことがあるが、このおっさんのほうが、金融やマネジメントのアイデアをふんだんに盛り込むという点で、一枚上手という印象。
(あ、幸田さんの最近のものを読んでないので、あくまで僕が読んだものの印象です。)

おっさんのアイデアをちょっと列挙してみると、
・新たな商店街像の提示(NPO、医療、ターゲットとしての高齢層、「歩いて暮らせる街づくり」)
・経営は若手、アイデアは中高年(中高年向けマーケティング)
・文化財をはじめとした「見えない資産」を遺す手法
・エコマネー
・商店街再生ファンドの利用
・売却予定債権の再回収の仕組み
・イベントの利用(道路清掃で一石二鳥、公園の利用)
・地銀救済策としての劣後債発行
・時間帯による共同雇用・兼業勤務
・・・


主人公を決してヒーローとして描かず(どこにでもいそうな銀行員、決して切れ者ではない、天下り先の与えられた役職で楽する道とで葛藤する)、プロジェクトに立ちはだかる困難もリアリティがあり(債権者たる銀行・官僚・消費者金融・不動産・建設・外資ファンド、などのカネに物をいわせた現場無視の再開発計画にどう対抗していくか)、実際のプロジェクトマネジメントの実例としても使えるクオリティを持っていると思います。

こういう分野に興味のある人には、おススメです。


PS.ちなみに、幸田さんの小説では、「傷−邦銀崩壊」が結構おもしろかったです。




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2006年07月18日

組織の知恵

最近、「企業価値評価(株式投資)入門」を更新していませんが、あれで終わりでは全然ありません。
続きを期待している方、少々お待ちを。
書いときたいことが色々ありまして。

で、今日もまた企業価値評価とは別の話。


06年7月6日のエッセイで便宜的に「組織の知恵」という書き方をしたが、内容はこういうこと。

たとえば、ビンに入った豆粒の数を推定する。
当て推量の者、数学的に解析する者、など複数人に別々に推定させる。
すると、全員の推定の平均は、一人ひとりの推定よりも実際の値に近くなるそうだ。
詳しくは以下参照。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2005/04/post.html

ちなみに、全体が個の能力を上回るための前提条件は、構成員が「独立し」「分散し」「それぞれが勝手な理解の仕方をする」こと。


このことのインプリケーションの一つは、一人で考えるよりも大人数のアイデアを集めたほうが、よりブラッシュアップされるってこと。
これが組織の知恵だが、大人数のアイデアを集めることができれば、「組織」形態にする必要はない。
個人間のネットワークがそれを代替出来ればいいわけである。

逆に言うと、その「組織」だけに「考える人」を限定する必要はなく、より多くの人間に考えさせたほうが、よりブラッシュアップされることになるわけで、それがオープンソースの根拠。

もっと卑近なインプリケーションは、多くの人と話をすること、多くの本を読むこと、などにより自分とは違う知識や視点を得ることがいかに大切かってこと。
あるいは、同じ材料を多角的に見ることができる視点を持っている人が強いってことにもなる。


別のインプリケーション。
同じような考え方をする人が多数いても意味はないということは、前提条件を見れば明らか。
腰ぎんちゃくはいらない。
上の意見にハイハイ従うだけの人間は貢献度低し!ということが実証されているわけですね。
ドキッとした人は、今すぐ勇気を持って行動を変えましょう。


さらに別のインプリケーション。
株式市場がもっと効率的になれば、市場をアウトパフォームするのは難しくなるってことだな。
(でも、今のところそこまで合理的な値付けがされているわけでもなさそうだけど。それに他人の意見に流される人、結構多いし。
ちなみに、他人と「結論」が同じになることを悪いと言っているわけではありません。)


(追記)最近では「集団の知恵」という言い方が定着したようですね。
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2006年05月03日

ブランドはこうして形作られる

先日、東京から宮崎に帰るのに、いわゆる格安航空券を旅行会社経由で購入した。

帰省当日、余裕を持って家を出たが、山手線が新宿で停止。
なんでも神田駅付近で人が線路内に侵入したためらしい。(侵入するな!)
待てども待てども動かない。

アナウンスでは中央線、総武線は動いているとのこと。
待っていてもいつ動くかわからないので、当初予定では品川から京急で羽田に向かうはずだったが、予定変更。
とりあえず動いてる路線で、東京経由で浜松町へ行き、モノレールに乗ることに決心。
目の前に来た総武線に飛び乗った。
途中で中央線に乗り換えれば、時間を稼げる。
当初予定に比べればかなり遠回りだが、いつ動くか分からないリスクを背負うより、遅くなっても確実に飛行機の時間に間に合うオプションを選択した。

四ツ谷で中央線に乗り換えようと準備していたら、アナウンスが聞こえてきた。
なんと人が侵入したのは、山手駅の神田駅ではなく、中央線の神田駅で、中央線も大幅に電車を間引いてるとのこと。
おい!山手のアナウンスではそんなこと一言も言わなかったぞ!

しかたなく、各駅停車の総武線でチンタラ神田駅まで行って、山手か京浜東北に乗り換えなければならない。
Yahoo!路線情報で調べて、万全を期して、余裕を持って家を出たはずなのに、飛行機の時間結局ギリギリかよ。

神田駅についたら、山手よりも京浜東北が先にホームに来たので、京浜東北に乗った。

が、駅と駅の間で停車。
前の電車が詰まってるので、運転時間を調整するとのこと。
その間に、隣の線路を山手が抜いていく。
駅と駅の間で停車してるので、降りて山手に乗り換えることもできない。

マジギレ!
おい、JRいいかげんにしろ!
こっちは飛行機の時間が迫ってるんだよ!
京浜東北が運転調整してるなら、ホームでそうアナウンスしろ!
運転調整するなら駅で停車したときにしといてくれ!
客の立場に立った情報提供をしろ!

飛行機の時間は、いよいよやばい。
航空会社は、出発予定の10分前に羽田についても、もう乗せてくれない。
昔乗り遅れたことがあるから知っている。(それも2度。恥)
飛行機への搭乗までに時間がかかるから、出発直前に搭乗カウンターに着いても、もう乗せてくれないのだ。忸怩たる思いで見送るのみ。
そして事前予約した変更の効かない航空券はパア。なんとしてもそれだけは避けねばならない。
くっそー、JR訴えてやるぞ。
いや、ホントに悪いのは侵入者なんだが。

計算すると、どうやら出発の10〜15分前に羽田に着きそう。
しかも今回は旅行会社経由なので、搭乗手続きの前にまず、旅行会社のカウンターで航空券を受け取らなければならない。

マズい・・・

旅行会社からの案内には、9:25までに航空券を受け取れと。
で、今9:25・・・。おい。
案内に電話番号が書いてあるのが目に入った。
モノレールに飛び乗った途端、藁をもつかむ思いで、この番号にかけまくり。
でも出ない。何度かけ直しても出ない。
どうやらまだ営業してないようだ。
時間は9:30前。10:00営業開始なら終わりだ。9:30始業であることを祈るのみ。
ちなみに、飛行機の出発予定は9:50。

9:30になった。
祈る思いで電話をかける。
出た!ついに出た!
事情を説明して、航空券受け取りの時間が指定時間よりも遅れることを告げた。
が、電波が悪く、途切れ途切れの切れまくり。
航空券受け取りは了解してくれたが、搭乗させてくれるかは航空会社次第とのこと。
とか何とか話してたら、電波届かないところへ。
もう羽田に着くまで話せない。
ホントは航空会社のカウンターの電話番号を聞いて、そっちにもかけたかったのだが。

モノレールの扉正面に陣取り、扉が開いた途端、旅行会社のカウンターめがけ猛ダッシュ。

で、旅行会社のカウンターが見当たらない!!
しょうがないんで航空券なしでとりあえず航空会社のカウンターへ行ったら、あそこにあるんで先に旅行会社のカウンターへ行けとのこと。
もう出発予定の10分前。やべー!!

で、旅行会社のカウンターへ行ったら、ひ、ひとがいない!!
ど、どうしてくれる!?
ここまできたら、引き下がらんぞ、俺は。なにがなんでも乗るぞ!
と意気込んでいたら、旅行会社の社員さんがダッシュで駆け寄り、
「ヒロさんですか!?もう搭乗手続き済ませましたので、このままゲートへ急いでください」と。

おおお!!!
どうやら、モノレールから電話した旅行会社のかたが、空港カウンターの社員さんへ連絡して、僕がつく前に先に搭乗手続きを済ませるよう手配してくれていたのでした。

搭乗口までまたダッシュ。
「宮崎までお越しのヒロさーん」と、連呼されたが、なんとかギリギリで(ほんとにギリギリで)飛行機に乗ることができました。

顧客の立場に立った迅速な対応にいたく感激した僕は、この姿勢をぜひ続けてほしいと思ったため、後日お礼のメールをしました。

ちなみに、その旅行会社は、AIAトラベルサイトです。
http://www.h-aia.com/index.html

何かの機会があったら、僕はまたこの旅行会社を使うだろう。


最近、「ブランド」がマネジメントや会計の分野で、一種のブームとなっているが、こういうことこそ、企業のブランドに繋がるのだ。

「ブランド」や「ブランド価値」の定義は、色々提唱されているが、要するに、同種の競合商品(あるいは企業)に比べて、どれだけ高い値段が付けられているか、ということだ(ブランド価値は煎ずれば、こうして定量化される)。
つまり、同じ機能やサービスなのに高く売れる、あるいは同じ値段なのにそれが優先して選ばれる、ということがブランドの本質。
もっと簡単に言えば、ブランドとは、いかにファンがいるか、ということ。
「この商品を使ってよかった」という思いや経験をユーザーに提供する。

そういう意味では、ブランドとは実にユーザー本位のもの。
マーケティング・コストや企業ロゴに金を使って、といった経営方針や、どれだけそうした分野に金を使っているかということでブランド価値を計る方法は、明らかに企業側本位の考え方であり、ブランドということの本質を捉えていないと思う。

もちろん、企業ロゴが大事でないという気は毛頭ないが、「このロゴいいな」っていうユーザーと、「ここのサービスはよかった(ハート!)」というユーザーで、どっちが強力なファンになってくれるか、ってこと。


AIAさんに比べて、JRのグダグダさといったら。
乗客の立場に立った情報提供という視点を欠きまくり。
こういう経験をユーザーにさせれば、ブランド価値を破壊するわけです。
それでも鉄道って競争がないから、グダグダなまま生き残っていくのね。

posted by nao at 20:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

続、企業理念考察のスゝメ 〜僕の場合

僕の場合を考えてみた。
恥ずかしげもなくマジです。

ちなみに、僕の元いた会社が随分と反面教師になっています。

<事業理念>
社会に価値を提供する、これ以外にない。
決して金銭を稼ぐことが目的であってはならない。金銭はあくまで価値提供の対価としていただくという意識を忘れない。
ただし、これらの理念は、経済性を無視するということを意味しない。
価値を提供する相手の喜びを、自らの喜びとする。すなわち、価値提供を自らの楽しみと感じられることが、パートナーシップに参加する条件となる。
方法は個人尊重であっても、目的が個人主義になってはならない。
あらゆる利害関係者に対して、公正、率直、誠実であること。裏工作しても継続的なよい関係は築けない。継続的なよい関係が築けなければ、継続的な価値提供ができるはずがない。


<そのための心がけ>
物事の本質を大事にする。本質こそが価値を生む最大のポイントである。
自らの能力の最大限を発揮する努力をする。
ただし、努力と時間とは必ずしも比例しない。継続できない努力、能力を高める時間をとれない努力は、長期的によい結果を生まない。
自らの能力を高めるための努力をおしまない。
あらゆる体験を自らの能力を高める肥やしとする意識を持つため、常に心をオープンにする。
自らの可能性に枠を設けることは決してしない。
ワクワクを大事にする。
チャレンジ精神を大事にする。
問題・課題をチャレンジとして楽しむ。
悩んだときは本質・理念に立ち返る。


<経営の形態>
各パートナーが対等な地位を持つ、パートナーシップ制をとる。
組織の意思決定に対してそれぞれのパートナーが責任を持つ。
価値提供の結果として得られた報酬はパートナーで平等に配分する。
平等責任、平等報酬が機能するためには、情報の開示が重要である。
平等責任、平等報酬が納得性を保つためには、互いが互いをリスペクトできるかが重要である。
パートナーは、専門以外のことは何も知らない「専門バカなスペシャリスト」であってはならないし、すべてが平均点の「器用貧乏なジェネラリスト」であってもならない。それぞれが、幅広い知識・能力を持った上に独自の強みを持って、互いを補完しあうチームでなければならない。
議論は、率直、誠実、快活に行わなければならない。遠慮は追放すべきである。悪意は論外である。
常に物事を改善する気持ちを持たなければならない。その場合、ボトルネックから改善するという優先順位が生産性を高める最も有効な手段であることを認識しなければならない。


<事業内容>
まだ内緒。



うーん、<経営の形態>については再考が必要だな。
書いてるときに想定していた事業でいけば、パートナー同士は完全平等の立場で上手くいきそうだけど、ちょっといき過ぎか?
それぞれの個人が独立した活動をしながら、それぞれのプロジェクトにお互いに柔軟に協力する、というようなネットワーク形態をとるんなら、別に完全平等でなくてもよくて、各プロジェクトに対する貢献度に応じて、各プロジェクトの責任者が配分するって形でもよいかも。
それをまた納得のいく形で行うのが難しいかもしれないんで、完全平等が意外にいいかもと思った面もあるんだが。
posted by nao at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

本当のプロフェッショナルの世界

プロスポーツの世界は本当に厳しい。
結果を出す者は、収入はうなぎのぼりだが(そのスポーツの人気の度合いによるけど)、結果を出せない者は苦しい生活を強いられ、終いにはクビ。

年俸の差は非常に大きい。
技術の差以上に年俸の差は大きい。
年俸20億円のプレーヤーが、年俸2000万円のプレーヤーの100倍上手いかというと、そうでもない。
これはもう個人のブランドの問題。
ブランド価値として、ネーム・バリューのあるトップ・プレーヤーに富が集まる。
まさにパレートの法則の世界。
トップ・プレーヤーが付加価値の多くを分捕る。


翻って、これまでのサラリーマン社会。
トップ・プレーヤーが会社の価値の多くを生み出しているのに、報酬のほうはそれに見合った差はつかない。
結果平等の世界。
これって、つまり、「できる」人間が、「できない」人間(実態的には「やらない」人間)を養っているということ。
これが許されるわけないだろ!!

昨今では成果報酬が普及し、報酬が実績に見合ったものに近づきつつある。
一番いいのは、成果のバラツキと報酬のバラツキが一致する社会。

だが、時代はそこではとどまらないと思う。
ネットの普及で、個人の活躍する手段は飛躍的に伸びた。
企業の時代から個人のネットワークの時代へ。
そのような世界では、ブランド価値の意義は飛躍的に高まる。
評判は一瞬で一極に集中する。
少数のネーム・バリューを持つ個人が大きな力を持つ。

まさに、プロスポーツの世界と一緒。
ブランド価値の高い人間が、能力の差以上に富を分捕る。
ブランド価値の高い人間にその気はなくても、彼らに富は集中する。
ブランドのない人間がいくら抵抗をしようとも、ブランド価値の高い人間に富は集中する。

自分のブランドを高める必要がこれほど高まっている時代はない。

posted by nao at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

企業理念考察のスゝメ

自分が企業を作るとして、そのときの企業理念を考えてみる。
それが、自分の理想とする組織の形だし、自分のやりたいことでもある。
posted by nao at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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