2007年09月20日

日銀の、いや中央銀行といふものによる金融政策といふもののミッションは何か、をまず議論するべき

日銀政策決定会合、利上げ見送りでしたね。
今回もまた8対1。
水野温氏氏、相変わらず一人利上げ派。
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji07/k070919.pdf


日銀が利上げするべきか、見送るべきかについて、議論が巻き起こっています。
ただ、個人的には、議論が噛み合っていないと感じます。
というわけで、それぞれの意見の根拠について、整理してみたいと思います。

利上げ見送り派は、大まかに2タイプあります。一つは、「インフレ率がゼロ近傍をうろついているのになんで利上げなんだ?」というタイプ。この際、日本の消費者物価上昇率は実態よりも高く出ているんではないか、実態は依然としてデフレが続いているのではないか、という議論も重要な論拠になってきます(CPIの上方バイアス)。
このタイプの人たちは、今回の緊急事態関係なく、利上げ反対。
田中秀臣さんなどは、ブログの言説を追うに、このタイプかと思われます。

利上げ見送り派のうち、もう一つのタイプは、「通常なら上げてもいいんだけど、今は世界的な信用収縮という緊急事態なので、日本も上げるわけにはいかない」ってタイプ。このタイプは、あくまで現状が異常事態なので、ということが見送りの根拠になっており、異常事態でなければ、本来、利上げ派に属する人たちです。


一方、利上げ派の根拠は、以下のような感じです。
ちょっと前までは「日本の土地とかそろそろバブッてんじゃないの?景気もそこそこいいし利上げしとけば」という話。今はこの状況なので、根拠としては立ち消えていますが。
ただ、もっと広く世界的な過剰流動性の原因が日本にあるとして、現在は「円キャリーでジャブジャブなんだよ。日本の超低金利が原因なんだよ。そろそろ止めろよ」というのが、利上げ派の主な根拠になっています。
佐藤秀さんなんかは、こうした論陣を張っています。
水野温氏さんも基本的にはこうした考えですね。



以上のような主張は、利上げ派にしろ利上げ見送り派にしろ、根拠としてはどれも納得性が高いものです。
ただ、議論のレイヤーが違うために噛み合ってないのです。
こういう場合、「そもそも論」というか、「べき論」に返るべきです。
つまり、「そもそも中央銀行のミッションは何なのか。中銀は何を目指して金融政策の舵取りをするべきか。」に立ち返るべきです。


金融政策のミッションが、あくまで物・サービスの物価上昇率をコントロールすること、に尽きるなら、現状の結論は、サブプライム問題が無くとも、当然、利上げ見送りでしょう。
ただ、金融政策のミッションは、物・サービスの物価上昇率をコントロールすることに尽きるのでしょうか?
これは判断が難しいところです。
なぜなら、物価は安定していても、資産価格が上昇する局面があるからです。
購買側から考えると、モノ・サービスの購入に使うお金の出所と株や土地の購入に使うお金の出所は同じなわけです。つまり、買う側からすれば、モノ・サービスだろうが株や土地だろうが、財布は一つな訳です。

そう考えると、CPIのコントロールだけに終始してよいのか、という疑問が残ります。
インフレ・ターゲット論の弱点は、この点にあります。物・サービス価格が安定しているから、資産価格は放置していいのか。
実は、FRBも、ここについて明確な答えを持っていないように僕には思えます。
グリーンスパン前議長は、神のように崇められました。確かに絶妙な舵取りをしたのは間違いないですが、こと地価の上昇への対処については、かなりの迷いを見せていた。
バーナンキ現議長に対する風当たりが強いですが、地価上昇・住宅価格上昇を放置したという意味では、現在の米国の住宅がらみの諸問題(サブプライム・ローン問題も含め)の原因の一端は、グリーンスパンにもある、と言ったら言い過ぎでしょうか。

以上を考えると、物・サービスのインフレ率だけを議論の対象に金融政策を論じるのは、狭きに失する気がします。
物価が上昇し続けるのを放置してはマズイ状況になる、というのが金融政策の根拠なら、資産価格が上昇し続けるのを放置してはマズイ状況になる、というのが根拠にならないとは言い切れないと思います。



では、物・サービス価格の上昇率と同時に、資産価格の上昇率も横目に見ておけば、万事OK、話は終わり、なのでしょうか。

ここでいう「物・サービス価格」や「資産価格」は、どこの「物・サービス」や「資産」を指しているのでしょうか?
常識的には、その国の、ということになります。
では、その国以外の「物・サービス」や「資産」については、全く責任が無いのでしょうか?

仮に、J国の中央銀行が超低金利政策を採っていたとします。J国の超低金利に乗じて、J国から金を借りまくり、A国の土地に投資しまくって、A国の地価が暴騰したら、誰が対処するんでしょうか?
A国の中央銀行?一義的にはそうでしょう。A国の利上げによって、A国の土地の収益率が低下して、この流れは収まるかもしれない。
ただ、そもそもの根本的な原因は、J国の超低金利にあるわけですから、J国の中銀の責任が全く無い、とは言い切れない。

現在のように、資金移動に「国」という概念がほとんど意味をなさない状況下で、「国」単位で責任を限定していて、機能するのでしょうか。
中央銀行が「一国の」インフレ率や資産価格のコントロールに終始してもよいのか、という議論が持ち上がるわけです。


というわけで、今回のサブプライム・騒動に端を発した信用収縮や、円キャリートレード、日銀の利上げに関する議論を見る限り、現在における中央銀行のあり方そのものを考えなければいけないという、宿題を突きつけられている気がします。



ちなみに、僕の中での結論は、「中銀は資産価格も視野に入れるべき。ある程度協調体制はとりつつも、各国別に責任を負う。」というものです。
日銀低金利政策が、円キャリーを通じて米国に・・と言いますが、米国の住宅問題は、FRBがもっと引き締めておくべきだったと思います。事前に、米国の実体経済はもっと減速しておくべきだった、と思います。
そういう意味では、日本ももっと前に多少利上げしておくべきでしたでしょうね。
物価がこの状況で、中銀の役割について、ターゲットを広げるべきという議論も煮詰まっていないなかでは、大変だったと思いますが。
ただ、今になって、円キャリーを止めるために利上げしろ、というのは、バブルの原因が低金利にあるからといって、すでにバブルが崩壊している過程で利上げするようなもの。もう遅い気がします。
posted by nao at 11:49| Comment(0) | TrackBack(5) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

食料自給率100%の愚

食料自給率100%を目指したい方たちがいらっしゃるようです。
普通は、供給元を分散するのが常道だと思うんですが。

日本で天候不順とかあったらどうするんですかね?
posted by nao at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月09日

ちなみに、GDPに占める金融セクターの割合

一次資料じゃなくて申し訳ありませんが。

香港 12.2%
シンガポール 10.8
英 8.3
米 8.3
日本 7.0
ドイツ 5.6
フランス 5.2
(週刊エコノミスト06年5/1・8号。元データは金融庁)
(注)シンガポール、米、日は05年、香港、フランスは04年、ドイツは02年


これを見ると、英米に比較して、日本も割りと近い数字じゃないか、と思われるかもしれませんが、あちらはガチンコでこの割合、日本は規制で守られてきた中でこの数字です。
当然、規制で守られた方が付加価値はとりやすいので、割り引いて考える必要があります。
posted by nao at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月04日

比較優位に足りないもの 〜「日本はものづくりが得意で金融は不得意」は本当か?

遅くなってしまいました。
「クイズ:一人当たりGDP世界1位と2位はどこの国でしょう?」に対するjnさんのコメント
金融が希少財であり、付加価値が大きいのは、今の市場がそうだからであって、新規参戦後の市場がどうなるかはわかりませんよね。今儲かっている市場に参入しその分け前を切り取るには、既存のプレーヤーを凌ぐ力を持つ必要があります。

日本にはその力はありますでしょうか。もし無い場合、それでも参入しなければならない理由は?


海外勢のほうが金融に強いので、金融は海外勢に任せる、というのも手です。
これは比較優位の考えです。
(比較優位と絶対優位の違いについては、「言葉の誤解による思考停止」を参照。ほとんどの自称専門家が間違えて使っています。)
お互いが、それぞれに「己の中で」得意なものに特化して生産し、あとで融通し合えば、生産量を増やせて、どちらもハッピー、という考え方です。
僕は、比較優位の考え方は非常に使えるフレームワークだと思います。
一方で、比較優位では捉えきれない軸が2つあると思います。
それは、需給の概念と時間の概念です。

A国は自動車生産に比較優位を持ち、B国はバナナ生産に比較優位を持つので、それぞれに特化して、融通すると、全体の生産量が増やせてA国もB国もハッピーといいますが、バナナに対する需要が思いっきり低下してしまったら、バナナの値段が暴落、B国のとれる付加価値は小さくなるわけです。
それでもB国は、バナナ生産に特化した方がいいのでしょうか?
誰もが「ものづくり」ができるようになり、あるいは「もの」に対する需要が低下してしまい、「ものづくり」では付加価値を産めない世界になっても、日本は「ものづくり」が得意なので特化した方がいいのでしょうか?
比較優位は需要のことまで考えていません。

かつて日本は自動車に強みがあったわけではありません。アメリカの独壇場だったわけです。
ではその時代に、「日本は自動車作りに比較優位がないから、自動車生産はやめとこうぜ」という選択がなされた場合、どうだったでしょうか。
比較優位には、時間軸の考えもありません。


そういうわけで、市場に新規参入するのは、たとえ現時点で比較優位がなくても非合理とは言い切れないのです。その市場が供給過少・需要過多であるなら尚更です。


そもそも、日本は金融が不得意と誰が決めたのでしょう?
現時点で負けているのは事実でしょうが、むしろ規制産業だったため工夫するインセンティブに欠けていた、だからいざガチンコになったら、現時点では負けている、というのが真実に近いような気がしています。
日本の金融機関は、文字通り「金の融通」という点での商品ラインナップが、今のところ少ないです。なので、競争うんぬん以前に顧客を取りこぼしている面も大いにあると思います。


さらに、「ものづくり」=製造業、という考えも、そもそもおかしいのではないかと思います。
金融商品を、その需要者の立場に立って丁寧に作りこむのも「ものづくり」です。
そうなると、虚業・実業という分け方自体があやしくなってきます。
つまり、日本の得意なものを「ものづくり」という言葉に集約すること自体に疑問を感じるのです。ちょっと抽象的な言い方ですが、「感性」とか「ちょっとした工夫」とか、そういったことが日本は得意なのではないかと。こうしたことはあらゆる産業に生かせると思います。
日本車が世界を席巻しているのは事実として、その要因は、「燃費がいい」「故障しにくい」に加え、「シートのすわり心地」だとか「アクセル、ブレーキのつなぎがスムーズ」だとか「ハンドルの遊びが絶妙」といった、ユーザーインターフェイスの細かい作りこみへの評価もある気がします(逆に、エンジンなどの機構部分は未だにアメ車、との評価もあるようですし)。
つまり、日本は、消費者のニーズ・ウォンツを汲み取り、それを丁寧に形にすることを非常に大事にしているのではないでしょうか。
「こんなだったら、喜ぶぜ〜」
ソニーのウォークマンなんて、まさにそういう感性の中から生まれたのでしょうし、現在の日本のゲームなんて、言わずもがなだと思います。

こうした感性は何も製造業でなければ活かせないものではないと思います。
そう考えれば、本当に日本の得意なものを生かせる分野は、産業では切れないのだと思うわけです。


いえ、もっともっと根本的に考えると、「『日本』は〜が得意。だから〜」という考え方そのものがナンセンスな気がしてくるのですが、これはまた長くなるので後日。



再び、jnさんのコメント
ゲームのルールの変化は敏感に感じ取る必要があるのも同意ですが、それ以上に、ルールを自分たちの都合の良いように変えていくしたたかさも必要かなと思います。京都議定書はそのチャンスだったかもしれませんね。


おっしゃるとおり、ゲームのルールを主体的に変える、という考え方は大事ですね。
しかし、日本はこちらのほうが「金融」以上に不得意な気がしないでもないです。


PS.関連する記事を池田信夫御大が書かれていたので、TBしておきます。
posted by nao at 10:59| Comment(2) | TrackBack(4) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

クイズ:一人当たりGDP世界1位と2位はどこの国でしょう?

1位アメリカ、2位日本と答えた方、残念ながら不正解です。
総務省統計局の「世界の統計2007年」によると、1位はルクセンブルク(今の正式名称はルクセンブルグではないようです)、2位はノルウェー、となっています。
ちなみに、アメリカは7位、日本は13位です。
え?そんなに下?という印象をお持ちかと思いますが、これが事実です。


一人当たりGDP (ドル)
1 ルクセンブルク 79,214
2 ノルウェー 63,964
3 アイスランド 54,531
4 スイス      50,611
5 アイルランド 48,044
6 デンマーク 47,645
7 アメリカ      41,874
8 スウェーデン 39,567
9 オランダ 38,293
10 イギリス 37,366
11 オーストリア 37,218
12 フィンランド 36,792
13 日本 35,650
14 ベルギー 35,566
15 フランス 35,150
総務省統計局 世界の統計2007年より



一人当たり購買力
お気づきのことと思いますが、上位にはズラーリと欧州諸国が並んでおります。そう、ユーロ高の影響大です。

一人当たりGDPを分配面から見ると、一人当たりの購買力と捉えられるわけです。
日本ではとかく、輸出に有利だといって円安が歓迎されますが、一方で円安になると購買力が落ちます。海外製品や海外資産が高くなり、逆に、海外から見ると日本製品や日本の資産が安く見える。日本企業なんて、今、海外から見ると安いところ多いんじゃないですか?
現在のユーロ高によって、ユーロ圏からすると海外ものは安くなりますが、その一方で輸出は減るので、そのうちマイナスの影響も出てくるでしょう。
結局、為替は「その時その時でええとこに落ち着く」というのが一番よいわけです。「ええとこ」は誰にも分からないのですが。いえ、正確に言うと、実物経済から言ってある程度「ええとこ」はわかるのですが、そうは動かないのが為替。
というわけで、為替レートそのものの変動で順位が入れ替わる分にはそんなに気にする必要はないのです。が、その時の為替レートに応じてリーズナブルな選択をする、という発想は大事。日本は、円高時代に円高をびびる風潮が強すぎ、うまく利用するという発想ができませんでした。円安だから輸出産業がいい!という話は出てきますが、一方で円安に対する危機感の方はあまり聞こえてきませんね。


一人当たり生産性
一人当たりGDPを生産面から見ると、一人当たり生産性になります。
ルクセンブルグ、なぜこんなに高い一人当たりGDPがたたきだせるか。鉄鋼のアルセロールが有名ですが、GDPの産業別構成比では、金融業が8割と圧倒的。世界的に見て、産業としての金融がぶんどる付加価値は大きい。金融は依然として希少財なのです。なので、その金融業が8割のルクセンブルグは一人当たりGDPが高い。

特に、ルクセンブルグは古くからの貴族の資産などが多いらしいので、それらの豊富なストックを金融でフローに結び付けている、という姿も想像されます。が、この辺は要調査。

もちろん、将来的に金融が希少でなくなり、そのとき、ルクセンブルグの産業構造が変わらなければ、現在ほどの地位は確保できないでしょう。
しかし、現時点では、日本が1年間に一人あたまで生み出す付加価値は、ルクセンブルグの半分にも満たない、というのが現実。
日本の将来のヒントとして、ルクセンブルグを見るというのも一つの手かと。

「ものづくり日本」も大変重要ですが、世界的に見て「ものづくり」は競争が激しくなっていることも事実です。競争が激しいイコール、取れる付加価値は小さいということ。「ものづくり」の象徴として自動車業界が語られますが、一方で、これまた「ものづくり」の電機業界の惨状も事実な訳で。「ものづくり日本」という言葉には、渋澤さんのおっしゃるように、日本の技術に対する驕りも見て取れるわけです。驕りは客観的事実に目をそむける姿勢につながりやすい。もっと謙虚、かつしたたかな目線も必要かと。

個人的には、日本の金融業界はまだまだやれることが多く残っていると思います。
それから、もう少し長い目では「安全・安心、ブランド」をコンセプトとした農業や「食」産業も、新たな付加価値の源泉になるチャンスがあるのではと思っております。
「ものづくり」で光明があるとすれば、環境問題によってこれまでのゲームのルールが大きく変わる可能性があること。単に今までの技術に追いつくだけでは通用しなくなる可能性が高いのではないでしょうか。それから、「右脳」を使うこと。これはまた長くなるので別エントリーで。

posted by nao at 11:26| Comment(6) | TrackBack(5) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月29日

年金関連、備忘エントリ

かなり遅くなってしまいました。
「年金再論」についてのjinyaさんのコメントは非常にわかりやすい。ライフサイクル的に「金持ち→貧乏」パターンが圧倒的なので、年金制度が維持される。
ただこれは、あくまでフローの所得の話でして、きちんと積立をしていれば、ストックも含めた意味では「まあまあ金持ち」→「まあまあ金持ち」になりうると思うのですが。ただ、年金を政治の争点にしようにも、賦課方式ヤメレ!という案が出てこないので、現状、投票しようがない。このまま引退(予定)世代が若い世代の首を緩やかに絞め続ける、という傾向が続くんですかね。


もともと、軍人や公職の「保障」としての性格だった年金が(要は、老後は面倒見るから御国のために働け!)、現在のような国民皆年金になったのは戦後のことでして、日本での歴史は実は浅い。なので、それまでは自分たちで何とかしろ!の世界だったわけです。それこそ、むかーしむかしは、姥捨ての習慣があったわけで。ヤマンバ(山姥と書く)は、姥捨てされた老婆が、生きるために旅人を殺して喰ったという話からきているそうですし。いや別にそんな世知辛い世の中に戻れと言っているわけではないですが、賦課方式の年金は実は「当然」ではない、ということです。

年金制度の成り立ちについては、雪斎さんによってわかりやすくまとめられています。
「年金」は、どうでもいいネタである。 続


より詳しい歴史はWiki参照のこと。


その他の備忘エントリ。
磯崎さんによる喩えは一見難しそうで、かなり納得。
「年金をもらう権利」雑感(民間との対比で無理やり考えてみる)



小飼さんの提案は一考に値しますね。
思いつき - リーバース・インシュアランスはありうるか?

不動産のリバースモーゲージの生命保険版というか。
生命保険を生きている間に受け取る仕組み。
すでに似たような生保商品ってありますよね?
病気になったら金がもらえるやつ。
でもこれは、病気にならなくとも、年をとるごとに「死」の確率は高まるわけでして、そこを数理計算して確率に応じて金を受け取る。死を金に換算するんで生々しい感じはしますが、それを言ったら生命保険自体が死を金に換算する仕組みな訳で。
年金制度自体の話ではないですが、老後の財源の一つとして登場してもいいと思います。
タグ:経済 年金
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2007年06月18日

年金再論

「年金、この際だからバンザイして作り変えたら?」についての、jinyaさんのコメント。

積み立て式にするならば、そもそもなぜ年金でなくてはならないんでしょうか?個人が勝手に貯金や投資をすれば良いのでは?

そもそも年金をやめてすべて税金にすればよいと思います。どうせ私たちが老いる頃には破綻している年金。せめて持って行かれるときだけでも、年金ではなく税金と言ってくれればすこしは気が晴れるのですが。

年金が年金であること、何か深い理由があるのでしょうか?


おっしゃるとおりで、積立にする限り、国がやる必要はありません。
なので、今の制度の対極にあるのは、いわば「無年金国家」。年齢で区別するのではなく、社会福祉として「保証が必要かどうか」で判断する。保証が必要なかたには、お年寄り、若者関係なく保証を出す。70歳でも現役バリバリ稼いでる人は、もちろん保証は出ません。
そうすれば、不労所得が年数千万あるようなおじいちゃん、おばあちゃんにさらに高額の年金を払うということもなくなります。もちろん、ストックがなくフローの所得がないおじいちゃん、おばあちゃんには保証が出ます。持っているストックと稼ぐフローで、保証が出るかどうか決まる。財源は一括税金。
引退しても安心な生活を送りたい方は、しっかり積み立てる。国は人間らしい生活は保障する。
ただし、完全無年金にすると、予想以上に長生きした場合、今まで積み立てた分を食いつぶした後は、最低保証だけなのか!ということになりますので、現実的な落としどころとして、完全社会福祉じゃなく、年齢の考え方も入れる必要はあるのかもしれません。

しかし、少なくとも今の制度のように、それまでの収入が莫大な人は、年金も莫大、というのはもう無理です。それまで年間5000万円稼いでいたから年金が数千万円、なんてことは無理。
そもそも賦課方式は、矢田亜希子さんばりによーく考えるまでもなく、原理はねずみ講なわけです。新規加入者が増え続けない限り、成り立たない仕組みという意味で。これを民間がやったらとっ捕まるわけですが、国なら許される。強制的に新規加入させるので。ただ強制加入とはいいつつも、原理からいけば、新規加入者が少なくなって受給者が増え続ければ、成り立たない。原理的に、人間が長生きしたら成り立たない制度なわけです。

いや、賦課方式でもいけるっちゃいけるんですよ、支給年齢や支給額を約束しなければ。「支給年齢や支給額はその時々の状況によって変わります!」とすれば(実際には60歳支給を65歳に変えたように、今でもそうなんですが。65歳支給なんて約束しちゃうから詐欺だ!なんて話になるわけです。もともとの原理から言って約束できないはずなのに)。
それに、税金と一緒で、逆累進性で支給する手もあるわけです(ストックやフロー収入が大きい人は、「支給率」が低くなる)。
これなら、賦課方式の存続も可能なわけですが、それでも、先のエントリーでも述べたように、賦課方式だと積み立て方式に比べて、チェック体制・ガバナンスを充実させないと、管理者が無駄使いしやすい、という問題は残るわけで、そこもクリアにする必要があります。


結論としては、賦課方式でも積立方式でも、その落としどころ次第なわけです。
そしてこの落としどころを考えるには、切り込み隊長小飼氏の言うとおり、そもそもこの社会が、「引退」あるいは「引退世代」をどのように捉えるのか、という哲学の問題になるのでしょう。それまでの貢献にリスペクトしつつもあくまで自己責任なのか、リスペクトを経済的援助という形で表すのか。

結局、最も問題なのは、民主主義多数決だと人数多い世代の意向が通ってしまう、先延ばしにするほど今後の引退世代に有利な落としどころになってしまう、ということなのだと思われます(政治家はさらに世代が偏っているという問題。ま、選んでるのは僕らなんですが)。


PS.みのもんた氏が「私の年金はもらえるんでしょうね!?」とかおっしゃってますが、あなたもう充分では?(笑)。お気持ちは当然ですが、そんなことを皆が言っているうちは改革できないわけです。「俺はもう充分稼いでるから、年金少なくしてもいい。その代わりちゃんと成り立つ制度を作れ!」とか言う気概をこの世代の代表が言ってくれれば、おばさまファンどころか若いねーさまファンも急増すること請け合いなのですが。
posted by nao at 01:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

省エネによる温暖化抑制効果と「ウン億円の経済効果」は似ている

先のエントリー(07年6月3日「環境対策に見るミクロとマクロ」)では、ある家計の貯蓄率(裏を返せば消費)が変わらなければ、省エネは温暖化抑制にあまり意味がない、と述べましたが、佐藤さんのほうがもっと正確(「何の役にも立たない」というのは言いすぎですが)。つまり、たとえある家計の貯蓄率が省エネで増加しても、他の経済主体がその分消費or投資を増やせば、温暖化抑制にはならないってことです。
要するに、マクロベースでの温暖化燃料消費量が減らなければ、誰かが省エネしてもダメ。日本ががんばって省エネしても、価格が下落した原油を中国が買って使うだけ。なので、本格的な代替エネルギーが登場しない限り、温暖化燃料の価格を税金などで上げて、その消費を抑制するようなマクロのインセンティブ政策が必要なのです。
もちろん、長い目で見て省エネ技術波及によって経済全体の燃料効率が上がるなら、温暖化進展の抑制に効果なしとは言えませんが、マクロのインセンティブ政策がないと即効性がないという意味です。


省エネ=温暖化抑制がまかり通る構図は、「経済効果ウン億円!」というインチキに少し似ています。
経済効果試算が何故インチキかというと、経済効果試算には、それによって生じるマイナスの効果がほとんど考慮されていないからです。

経済効果がどういう試算で出されているかというと、例えば万博などのイベントがあると、その建設需要や来場する人による消費、来場の際の交通費などなどの一次需要の発生に加えて、一次需要に関わった産業(建設や食品、小売、交通機関など)に属する人が儲かった金で消費する2次需要、そのまた先の3次需要の発生・・を産業連関表を使って算出し、これらを足し合わせる、というのが常です。
(正確には、まず生産額ベースで出して、それに付加価値率を掛けて、付加価値ベースで金額を出す。)

で何がインチキかというと、万博に行った人が、もし行かなかったら使ったであろう消費分を引いていないこと。いや、その人がそれまで死んでいて、突然生き返って万博に行ったんなら話は別ですが、層でない限りその人は万博に行かずともどこかで買い物してメシ食ってるわけで、その分を引かないと、純粋な万博の経済効果ではないわけです。

これ、省エネの温暖化抑制効果の話と似ていませんか?
イベントにしろ省エネにしろ、それ単独の効果のみ語ってマクロ全体での「本当の」効果を語っていない。
こうしたマクロベースの視点が欠如した考え方は、まるでそれが正しいかのように誤解を与える点で、ほんとうに罪深い。


PS.プロ野球などの「どこどこの優勝の経済効果!」なんて、もっと酷い。万博は、一回きりなので、まだ経済効果を語っても意味がありますが(計算は間違えているにしろ)、プロ野球の優勝は毎年あるイベントでして、GDPに毎年加算されていますので、そもそも経済効果を語る意味さえない。例えば、楽天優勝の仙台地域への経済効果、など、地域を限定したなら話は分かりますが。
この辺の話は、門倉貴史氏による「統計数字を疑う」に詳しいので、ご参照あれ。



図書館蔵書を調べた後にね。(笑)
posted by nao at 01:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月13日

コムスンが悪いのか、介護ビジネスが悪いのか

コムスンが悪いのか、介護ビジネスが悪いのか、ごっちゃになっている気がします。
コムスン問題で、「だから介護にビジネスは合わないんだ」って、それは違います。

そもそも発想が逆だと思います。
介護は国がやるもので、それを民間に任せる、という考えが一般のイメージかもしれませんが、全く逆。本来は、介護サービスは需要があるのだから民間にその供給を任せ、ただ100%市場に任せると金持ちしかサービスが受けられなくて、社会に必要な供給がなされない、だから国が介入します、というのが筋だと思うのですが。なので、まずは需要に見合った供給がなされていないのですから、介護師の給料は高くてしかるべき、介護事業も儲かってしかるべき、です。
ただ、それでは供給が充分でないので、保険でも税でも補助金でもいいので、国が金を出して、市場に任せては介護が受けられない人もサービスが受けられるようにする、と。

そうして市場を育て、供給が拡大されれば、それに見合った値段に落ち着くわけで。

介護保険を不正で受け取るってのは、むしろお上のチェック体制の甘さが指摘されるべき問題かと。それから企業自体のガバナンスの問題。
その点と関係ありますが、連座制っていうのは、ほんとにああいう規則なんですか?
一事業所で何かあったら、全事業所罰則食らうって、あまりにリスクとリターンのバランスが悪すぎではないですかね?
これこそ余計に介護サービスの供給が拡大しない原因になっていると思いますが。
どういう発想をしたら、こんな仕組みになるのでしょうか?
posted by nao at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年金、この際だからバンザイして作り変えたら?

ここまできちゃったんだから、この際、賦課方式から積立方式に変えちゃったら?と思います。
制度移行が難しいなんて言いますが、移行じゃなくて、一回バンザイして作り直し。
約束を反故にするのか!って言いますが、どうせどこかの時点で誰かは約束反故にされる制度なわけです(今の若年層ほどそのリスクが高い)。今やっちゃいましょうよ。バランスよい負担の落としどころを建設的に話し合いましょうよ。金かけて無理な制度の立て直しをするよりよっぽどコスト-ベネフィットがよくなりますよ。

だいたい、賦課方式なんだから、社保庁は、単に現役世代の金を引退世代に横流ししているだけでしょ?積み立てたお金を運用とかしているわけじゃないんだから。
それさえまともにできないってことは、公僕として「クビ」でいいんじゃないでしょうか?
そもそも社保庁のガバナンスはどうなっているんでしょう?
積み立て方式なら、自分の年金残高がどうなっているか、定期的にウォッチすることになりますので、そういう意味で積立者によるガバナンスが利きますが、賦課方式なんでそれはない。なので余計きっちりしたガバナンスの仕組みが必要なはずです。

年金ど素人のバイトを電話番として募集している場合ではないですよ。
posted by nao at 18:21| Comment(1) | TrackBack(1) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

「森林破壊を減らす方法」の追伸

昨日のエントリーで言い忘れたこと。
紙使用に対して、マクロ政策として「森林保護税」を導入することも検討されて然るべきです。
本来加味されるべき森林の価値(環境コスト)が加味されていないのが問題なわけですので。
関連エントリー、06年8月9日「環境に値段をつけろ」
posted by nao at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月14日

全米不動産協会(NAR)が・・

ぐっちーさんところにトラックバックしようとしましたが、受け付けてらっしゃらないのかな。
いや、何って、全米不動産協会(NAR)が「今年の一戸建て住宅の価格が前年割れになるかも・・」なんてコメントを出したようですね。
減速でなく、マイナス。
68年の統計開始以来、初のことらしいです。
でも印象としては、あれ?まだ前年比マイナスになってなかったんだっけ?って感じですが。
ちなみに、磯崎さんのところの、渡辺千賀さんのコメントによると、サブプライム・ローンは2割がデフォルト・・・。
こちらもトラックバックしときます。


ストックである住宅価格の下落が、フローの景気にどんなインパクトをもたらしうるかは、07年4月3日付け「米国の住宅市場、サブプライム・ローンにばかり注目が集まっていますが…」をご参照くださいませ。
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2007年04月03日

米国の住宅市場、サブプライム・ローンにばかり注目が集まっていますが…

サブプライム・ローン業界2位のニューセンチュリーが破産法申請しました。いわゆるチャプター11ですね。
サブプライム・ローンというのは、低所得者層向けの住宅ローンでして、もちろん信用度が低い分高金利なんですが、初回支払いは低額で済むなど、緩い融資基準だったりするわけです。

ただ、サブプライム・ローンの融資焦げ付きうんぬんよりも、米国住宅価格の下落は大きな影響を持つと思います。
低所得者向けローンの焦げ付き自体は、いくつか処理の枠組みがあるわけでして、低所得者層がデフォルトしたとしても、実質的に米国の消費全体に与える影響は軽微なわけです。元々消費に占める割合の小さな層なので。ご本人たちにとっては、大変なのですけど。

しかし、ホームエクイティ・ローンについては、そうはいかない。
米国の住宅市場は、住宅価格の上昇が前提となっているような仕組みが色々とありました。
ホームエクイティ・ローンはその典型。金融機関が、住宅購入者に対して、その資産価値が上昇したら、与信枠を広げて金を貸し出すという仕組みです。これによって貸し出したカネが消費に回っていた分が結構ありまして。一説には、ホームエクイティローンで米国の家計に転がり込んだ現金は、可処分所得の7%程度を占めるとか、ホームエクイティローンによる消費が米国の家計消費全体の5%ぐらい占めるんではないか、なんて言われていたのが2年ほど前でしたでしょうか(このあたりの数字は、当方責任持てませんので悪しからず)。

この数字が正しければ、サブプライム・ローンの焦げ付きは氷山の一角で、住宅市場のシュリンクの米国景気に対する影響はまだまだこんなもんじゃ済まされないかもね、ってなお話。株価を見る限り、皆さんそこまで懸念してらっしゃらないようですけどね。
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2007年01月27日

フカヒレは何故高いか?

昨夜、何気なくテレビを見ていたら、「フカヒレは何故高いのか?」、その理由を探るという番組をやっていた。
サメの捕獲から、ヒレを天日干しし、それを料理店に搬送。そして、料理店で臭みをとるためにネギやみりんで煮込み、その後も放置、・・・などなど、要するに、料理に出されるまで手間暇が非常にかかる、そのためにフカヒレは高いのだと、そういう結論になっていた。
出演者は一同納得、スタジオに出されたその高価なフカヒレ料理に舌つづみを打った。


・・・とんでもない間違いだ。

フカヒレは手間がかかるから高いのではない。
高いフカヒレを食す人が多いから高いのだ。

いくら手間がかかろうが、高くても食べたい!と思う人がいなければ、高く売れることはない。
手間暇がかかる、というのは供給の制限にほんのちょっとだけ貢献しているかもしれないが、それが希少性の本質ではない。
供給が少なかろうが、それ以上に需要がなければ、高値は付かない。

「当たり前じゃん」と思うかもしれないが、当たり前に理解されているとは到底思えない。

ダイヤモンドが高いのは、高いダイヤモンドでも買う人がいるからだ。
(ほんとは皆が思っているほど、ダイヤモンドの希少性は高くない。)
原油は、つい数年前までは水よりも安かった。
ところが、原油が安すぎて採算が取れないために、掘削設備が新規に投入されず、そうこうしているうちに、中国を始めとした新興国の新たな石油需要が大きくなり、原油は高値になった。
(今の値段が実需に見合った水準かどうかは、分析してないから知りません。)

能力が高い人が高い給料をもらえるわけではない。
希少なもので、かつ皆が欲しがるものを提供できる人の給料が高いのだ。
(もしくは、そういう業界にいる人ね)
テレビマンの給料が高いのは、電波が免許制なためだ。
(やっぱテレビが今の地位を保つには、ネットに手を出すしかない。別にネット事業を自らやれといっているわけではないよ。)
ゴールドマン・サックスのボーナスがバカ高いのは、金融が依然として希少財だからだ。

その意味で、世界で一つだけの花、を目指すのは戦略的に正しい。とはいえ、その花を欲しがる人が一人もいなければ何の価値もないのも事実。
経済とはそういうものだ。
タグ:経済
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2006年10月31日

ソフトバンクの「予想外割」が価格破壊だとしか報道されない件について

以下、あくまで僕の想像だと最初にお断りしておきます。

確かに、「あるセグメント」については、価格を下げてシェアを獲りたい、という狙いは間違いないと思います。
ただ、予想外割の内容をよく見ると、顧客セグメント別の価格ターゲティング戦略の面も大きい気がします。
21時から午前1時の時間帯の通話時間が月200分を超えると、30秒につき20円かかるらしいですね。月200分というと、日に6分の計算なので、ヘビーユーザーならすぐ超えてしまうラインではないかと思います。
つまり、この価格設定は、ライトユーザーには割安ですが、ヘビーユーザーには割高な料金設定になっています。
おそらく、事前のマーケティングの結果、ライトユーザー層は価格弾力性が高い(価格低下に敏感に反応して契約会社や契約内容を変える)のに対し、ヘビーユーザー層は価格弾力性が低い(価格を上げても契約会社や契約内容を変えない)ということがわかっていて、その上で、付加価値をなるべく多く得られる料金設定にしていると思われます。

また、価格メニューが非常にわかりにくいのですが(ソフトバンクだけではないですけど)、これも、あえて分かりにくくしているのではないかと思います。
シェアの低いプレーヤーが、ゲームのルールを変えるために、需要と価格の関係に混乱を起こしたい、ということもあってのことだと思います。
混乱に乗じて、シェアをかっさらう、そのためのツールが、インパクトの強い謳い文句と孫さん御自らの販促支援、というわけです。


別に、ソフトバンク批判ではありません。
ただ、企業の付加価値を減らしてでも業界の価格破壊に貢献する、というイメージとはちょっと違う面があるのではないかな、ということです。
むしろ、企業としては当然の策と言えるものです。
すべて僕の想像ですが。

と、ここまではよかったものの、謝罪会見場でメディアに「条件によっては他キャリアよりも高いんじゃないか」と突っ込まれた途端、孫さんがその場で価格を引き下げたりと(当然、その時点では販売現場には伝わっていなかったようです)、行き当たりばったりの匂いがプンプンするのも否めません。神輿と担ぎ手に距離があるんかしら。

PS.あーそれから、販売店が携帯電話「全機種0円」のキャンペーンを張っていますが、よく聞いてみると、あれ、売掛にして売ってるだけであって、決して0円ではありませんので、皆さんご注意を。
JAROってなんじゃろ。
posted by nao at 23:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

再度、女性向けエッチ映像市場を経済学的に考えてみる。

ゆり造殿、「入院14日目 女性向けエッチ市場について考える」に対する、長いコメントありがとうです。
いやいや、参考になります。
コメントでお答えしようと思いましたが、長くなったし経済ネタというか市場開拓の例として使えそうなんで、記事にしました。


実際、この市場は侮れない。いやホント。

僕の周りの率直な(笑)女性陣に聞く限り、潜在需要はそれなりにありそうです。

なのに、供給面では競争が限られそうなんでgood。
そもそも、女性で映像を作る仕事をしている人が少ない上、女性向けのエッチ映像を作れる女性となったら、ほんとに数えるほどしかいないんじゃないでしょうか、今のところ。
しかも、こうした技術なりセンスなりは付け焼刃的にすぐ身につけられるものでもないでしょうから、そのこと自体がこの市場への参入障壁になります。
つまり、女性向けのこういう映像を撮れる女性監督という貴重なリソースを押さえてしまえば、追随者が追いつくまでに時間がかかるので、ほぼ独占市場。

しかも、シナリオを書ける人は、映像を作れる人よりは多くいそうなので、シナリオの仕入れ(原価)は割りと安くできるのではないでしょうか。

リスクとしては、ネット上に無料でそうしたコンテンツが溢れてしまう可能性がないわけではない。
しかし、女性向けはストーリー重視できっちり作りこむ必要がありそうなんで、ウケる映像がネット上に溢れる、という時代は当分来ないんじゃないんでしょうか。


1.需要はある
2.なのに供給側のプレーヤーが少ない
(2´さらに仕入先のプレーヤーが多ければ、なおよし)
3.しかも参入障壁が高い
4.代替商品がない

これ、儲かる市場の鉄則でして、この条件を女性向けエッチ映像市場は見事に満たしそうです。
潜在需要が顕在化する障壁となっている「恥ずかしさ」を取り除く仕組みを作ってやれば、かなりおいしい市場だと思われます。
で、潜在需要を顕在化させる仕組みが、ネットレンタル及びネットダウンロード。

こういう市場は、早くやったモン勝ちです。
やりたいかどうかは別ですが。

市場を立ち上げたいという方がいたら、僕にご一報を。
いろんな面でサポートさせていただきます。
撮影現場とか?(笑)
posted by nao at 17:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月29日

シュンペーターの「創造的破壊」

一昨日の補足。

「不況は、経済の非効率部門を排除して、後に新たな創造がなされる、という調整機能を担う」という考え方です。
一般に使われるときは、もっと広い意味で使われてますね。

しかし、ことマクロ経済ベースで「創造的破壊」を見る限り、実証的には肯定されないようです。
つまり、不況期には金融部門のリスク許容度が低下し、本来創造につながるはずの起業が行なわれなくなる、っていうのが過去の傾向でして、不況が非効率部門を「優先的に」排除するのではない。むしろ、不況は「創造」を排除する、と。

一昨日は竹森センセの「経済論戦は蘇る」を、批判的に書いてしまいましたが、「創造的破壊」を盲目的に信じる人たちの目を覚まさせる、という意義は大きいと思います。
ミクロ経済のわりと新しい理論もフレームワークとして紹介しているのも、いいですね。
加えて、様々なエコノミストの、実証を伴わない「言いっぱなし」を、次々と否定していくのも大きな意味があると思います。はい。
(原田泰氏、野口悠紀雄氏、岩田紀久男氏は、おかしなことを言っていたようですね。)
posted by nao at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

理論の大切さとそれを広める難しさ

入院中(6月です)、ロビーに置いてあった雑誌を手にとったら、竹森俊平氏の論考が掲載されていた。
別にこの記事自体は面白くもなんともなかったのだが(失礼!)、この竹森先生、大学時代に講義を取ったことがある。
俊平って名前は、シュンペーターから付けられたとか言っていた。
名前どおり経済学者になったわけ。
最近ちょくちょく出てくるようになったなー。
「経済論戦は甦る」で、賞をとったかなにかで、注目されるようになったようだ。
この人、もともと貿易理論の先生で(貿易論はミクロ経済学の応用分野)、「経済論戦〜」を書店で見かけたときは、ちょっと驚いた。
この本は、マクロ政策の本だったし、何より一般向けの本を書くようなタイプに見えなかったから。
なんかまた一般向けの新しい本を出したらしい。


ところで、別に竹森先生の本がってわけではないのだが、一般向けに書かれたマクロ経済関連の本って、一見分かりやすそうに書いているが、実は理論をわかってないと、本当には理解できるものではない。
だけど、一般向けに書かれているから、言葉はやさしく、シロートをさもわかった気にさせる。


大学教授の役割として、理論なり実証なりで経済の研究を進展させる、というミッションと同時に、一般大衆の経済への理解を深めるというミッションもあると思う。
その手段として、一般向け経済書を書くというのは大いに理解できる。
が、理論そのものを理解させない限り、一般向け経済書の大半は、徒労に終わるんではないか、というのが僕の意見。

僕は、いわゆる狭義での証券アナリスト(企業アナリスト)をする前には、エコノミストとしてマクロ経済の予測(景気、金利、為替などの予測)の仕事をしていた。
そのときの実感は、理論を自分のものにしている人とそうでない人は、雲泥の実力差があるということ。
後者の無手勝流エコノミストは、平気で理論的に間違ったトンデモ論をでっち上げる。
理論的に考えたら、明らかにおかしな議論なのに、堂々とレポートで発表してしまう。
そして、マーケットはそれを、うんうんと信じてしまう。
これは、株式ストラテジストにも言えること。
例えば、平成不況と戦前の恐慌を比較して、あのときのように財政政策やったらんかい!とか言う人が結構いたんですが、こういう人たちは、為替制度の違いによる政策効果の違いを全くわかってない。
一般の皆さん、騙されてはいけません。


話戻って、竹森先生。
「経済論戦は蘇る」は、結局、シュンペーターのいう「創造的破壊」は、実証的には証明されていない、というのが肝。
その点は評価できると思う。
ただ、せっかく戦前の話を持ち出しているのに、そして現在との為替制度の違いを持ち出しているのに、為替制度の違いによる財政・金融政策の効果の違いを考慮した上で平成不況と比較するということまでしていない。
さらに、著者が、ファイナンスについては素人並の知識しかないのではないか、と感じさせる記述が随所に出てきて、実に気になる。

ま、要するに、「創造的破壊」は実証的には怪しいぞ、という点の研究紹介は意味のあるものだが、結構ツッコミどころも多いぞ、という感じ。

だけど、理論を理解していない人がこの本読んだら、「へーなるほどーそうなんだー」で終わると思う。


一方で、この人の書いた「国際経済学」という、貿易論の理論書はすばらしい本だったと思う。
標準的な貿易理論を、いろんなトピックを交えながら、充実した演習問題と解説を通して理解させていく。
この人の講義、話し方のせいもあると思うけど、正直言って面白くなかった(再び失礼!)
だけど、この人のこの本で貿易理論が腹の底に落ちるのを感じた。
そして、勉強していて楽しいと思わせる本だった。
いまだに本棚にある。


おそらく、本当の意味では、後者の本のほうが、先の「経済論戦〜」よりもずっと価値のある本だと思う。
僕は、理論原理主義者ではないが、理論の持つ力は、経験上、そこかしこで感じた。
経済現象は、いくらミクロレベルでもがこうが、経済原理には逆らえない面がある。
(これは、現実が理論の通りになる、という意味では決してない。理論が示すような「影響がある」ということ。)
いきなり「経済論戦〜」を読むよりも、「国際経済学」を読むほうが、経済の原理を理解するのに何十倍も役立つのは間違いない。
だけど、理論書だから、経済学を本気で学びたい人以外は(いや、竹森先生の授業を取らない限りは)、手にされることのない本だろう。

学術書のジレンマというか、理論を広める難しさというか。

逆に言うと、理論をわかりやすーく教えてくれるセミナーなりっていうのは、それなりに潜在需要はありそうだよなー。
その理論がどれだけその人の人生に重要かってことを啓蒙できればね。
そこがこの場合のマーケティングのキモになるのだね。

PS.一般への経済の理解を深めるという点で、類まれな才能を発揮するのが竹中平蔵氏。彼が気鋭の研究を発表したというのは聞いたことがないが、標準的な理論を使って、わかりやすくかつ説得力のある議論を展開する才には、感心する。文藝春秋で竹中氏に宮崎哲弥とかいう最近よくTVに出る評論家がインタビューした記事が載っていたが、役者の違いがありあり。平蔵のレベルに合わせた質問を宮崎氏は全く出来ていなかった。
だけど、竹中さん、ホリエモン応援でミソつけちゃったねー。経済の専門家も、ファイナンス面は素人だったんですかねー。それとも何か裏があったんですかね?ま、ライブドアの分析してるヒマがなかったというのが実情なんでしょうが、応援する人のデューディリぐらいはしっかりやらないとね。

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2006年08月18日

社会貢献とボランティア

社会貢献ってボランティア(無償)と似た意味に使われたりするけど、全く違う言葉。

お金をもらっても社会貢献にはなる。
むしろ、市場原理が働く分野では、対価をもらったほうが、社会へ提供する価値は大きくなりがち。
すべての企業活動は、本来、社会貢献。
すべての労働は、本来、社会貢献に繋がっている。

例えば、イメージ的にかけ離れているけど、お金を持っている人は株式投資をして、成長企業にリスクマネーを供給すべし、これ立派な社会貢献。

ボランティアは、基本的に、経済学で言うところの「市場の失敗」が起こる分野で行われるべきもの。
つまり、市場に任せていては、社会が必要とするだけの供給がない分野。
これをボランティアで提供する、というのが正しいやり方。

それ以外は、商売にしてしまえ。
そのほうが、社会へ提供する価値は大きくなる。

介護サービスなんて、典型例でしょ。
posted by nao at 23:59| Comment(0) | TrackBack(3) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月01日

言葉の誤解による思考停止

東洋経済6/10号で原田泰氏の指摘するとおり、「モラル・ハザード」という言葉は、メディア上では、「倫理観の欠如」と言った意味で使われるが、これは完全なる誤解。

本来の経済学上の意味は、例えば、自動車保険を作ることで、かえって乱暴な運転をしてしまう(かえって支出が増えてしまう)、といった事態を指す。

すなわち、本来の意味には、「何らかの制度や規則を作る際には、狙い通りにインセンティブが機能するか気をつけなければならない」という発展的な思考が含まれる。

しかし、「倫理観の欠如」なんて誤訳をするから、「倫理観を持たなければならないね」で思考停止してしまう。


別の例。
メディアやほとんどの自称専門家は、「比較優位」という言葉を、「AとBを比較して、どちらが優位」というような意味に使っているが、これも完全なる間違い。

本来、経済学的には、「AとBがともにリンゴと自動車を作れるとして、Aは相対的にリンゴ生産に比較優位を持ち、Bは相対的に自動車生産に比較優位を持つ」という具合に使う。

この時、Aのリンゴ生産が、たとえ「絶対的に」Bのリンゴ生産より劣っていたとしても、Aのなかでは自動車生産よりもリンゴ生産が得意というのであれば、「Aはリンゴ生産に比較優位を持つ」と言うのである。

で、このことの含意は、「Aはリンゴ生産に特化し、Bは自動車生産に特化して、お互い融通しあうのが、A、Bお互いにとって得になります。」という発展的な結論。
これ、分業の効率性の理論的根拠(果ては自由貿易の根拠)となるのです。
企業は全部自分でやっちゃだめですってことですね。
(もっときちんと理解したい人は、貿易論の最初のほうを読んでみてください。)

だけど、「比較優位」を、単に、「比較してBが優位」、なんて意味にとってしまうと、「へー、Bの方が強いんだー。Aはがんばれよ」で思考停止してしまう。


経済学用語を、本来の意味で理解するのと、誤解するのでは、その後の思考にこんなにも差が出てしまいます。

メディアや自称専門家、この人たちの無知は罪ですらあります。
posted by nao at 11:50| Comment(0) | TrackBack(2) | 経済(学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする