2012年03月25日

今日はとてもいい日だった。またアイツに、尻を思いっきり蹴られたのだ。

僕は、日記のように自分の行動を書き残すことが、あまり好きではない。
そんなことに誰が興味を持つのだろう?
僕が何か食ってクソして寝た、なんて情報が、誰かの刺激になるのか?
それはタレントさんの仕事だろう。
だから、このブログも、facebookもtwitterも、自分の行動を書くような日記にはしていない。
自分がふと思ったこと、考えたことを、仕事に支障のない範囲内で晒す、そういうスタンスだ。
(最近、ブログのほうはあまり真面目に書けていないけど。)

でも、今日は日記を書きたくなった。
なぜなら、今日はとてもいい日だったからだ。

今日、僕の母校が、センバツ初出場した。
僕らの高校は、いわゆる田舎の県立の進学校で、甲子園に出ることなんか、全く想像だにできなかった。
残念ながら、強豪校に一ひねりされたけど、それでも、とてもよい時間を後輩たちにもらった。

フェイスブックに、センバツ初出場のグループが出来、同窓会のグループも出来た。
僕は、実は元応援団長なのだけど、それらしい仕事を今回は何も出来ていなかった。
せめてもと思い、前日にグループに書き込み、試合の時間は皆でフェイスブックに書きこみながら一緒に観戦しよう、別々の場所にいながら皆で一緒に観戦しようと呼びかけた。
そして、今日、同級生たちがfbに集まり、別の年のOBOGも、甲子園に応援に行った人たちも一緒に、一体となって、飲みながら笑、母校を応援することが出来た。
これは、とても素晴らしい体験だった。
離れている時間なんかあっという間に飛び越えて、あの時のノリが今も生きていることを感じた。

卒業以来会っていなかった同級生とも、「再会」出来た。
彼ら彼女らも、いい歳になる。それなりのポジションに立ち、皆がんばっていることを知った。
とてもいい刺激をもらえた。

地元の、別の高校だった奴からも激励をもらった。
全く地元の違う大学の友人たちからも応援をもらった。

僕が応援団長をしていたことに触れて、最近知り合った友人がコメントしてくれた。
「そうだったんだwそういえば今もそんな感じだね」

うん、確かに言われてみれば、その通りだ。
でも、よく考えたら、ちょっと違う。
姿勢、というかスタイルがちょっと違うのだ。
あのときの、自分のやりたいことに純粋に貪欲だったときは、、、本来の自分の純度が高かったときは、、、もっと責任を引き受ける形で皆を巻き込んで…。
(そのかわり、勉強はやりたくなかったから寝てばっかだったけど。笑)
確かに少し今と違うやり方をしていた。
うん、何か重要な点に気づかせてくれた。ありがとう。


そして、試合が終わってから、友達申請とともに一通のメッセージが届いた。
「牟田先輩お久しぶりです。○○の妻です。覚えていてくださったら嬉しいな。今年で○○が他界して10年です。」


僕には、一コ下の、かわいがっていた後輩がいた。
まあ、かわいがっていた、というより仲よくしてもらっていた、というほうがいいかも。笑
高校の学科も一緒、下宿も一緒、部活も一緒(そいつは野球部に入りたがっていたが、無理やり水泳部に入れた。ひでー先輩だ)。
そいつの兄貴も、同じ下宿の卒業生だった。
僕が大学で東京に出てきてから、一年たってそいつも東京に出てきた。
僕は、高校時代、部活と彼女以外は寝てばっかりだったけど(笑)、そいつはきちんと勉強もして東大に入った。
優秀な奴だけど、気取らない奴で、懐いてくれていたから僕もかわいがっていた。
東京に来てからも一緒に部屋飲みなんかしていた。

そいつは、大学を卒業して、地元に帰った。
地元の有名な企業の跡取りで、将来の経営者として嘱望されていた。

突然だった。
ある日突然、別の後輩から電話が入った。
「牟田さん、○○が死んだんですよ。」
何言い出すんだ、こいつ。
でも、冗談じゃなかった。
体調を崩して、病院に入って、数日であっという間に亡くなった、と。
急性白血病だった。
こんなことがあるのか。全く信じられない。
野球小僧で、水泳もしてたから腹筋もボッコボコで、すっげー健康な奴で、優秀で、でもかわいげがあって。
東大入って、将来も嘱望されて、でもそんなことに周りから嫉妬を感じさせないほどいい奴で、それでいて、いい意味で悪ガキで。
明るい人生を、光のあたる道を、間違いなく歩いて行くような奴だった。
それが、27、8歳そこらで、突然死んだのだ。

僕は、葬儀に帰らなかった。
本来なら駆けつけるべきだと頭では分かっていた。
確かに帰りづらい時期ではあったが、それでも無理すれば帰れた。
でも、なぜだか積極的に帰る気になれなかった。
「ああ、終わってしまった。俺が何をやろうが無駄だ。俺に出来ることは何もない。」という気しかなかった。
僕も、この歳になり、親戚など何人も亡くして悲しい思いをしたが、あの時ほど、現実の、鮮やかとも言えるほどの冷酷さを前にして、虚無感を感じたことはない。
いいやつとか悪いやつとか関係なく、ある日突然ばっさりと途切れる。
そういう冷徹な現実を生きているのが人間なのだ。
いや、冷酷だとか冷徹と感じるのは、人間のセンチメンタリズムでしかなく、ただ、そういうことなんだ、という事実しかないのだ。

僕は当時、せめて最後のメッセージをと、電報を打っただけだった。
冷たい奴と思われたかもしれない。
そう思われるだろうな、ということもわかっていた。
でも、帰る気になれなかった。

それから、事あるごとに、僕はこいつを思い出す。今でもだ。
何かあったとき、「あいつが生きられなかったのに、生きている俺が何をしているんだ」と。
僕が何かに悩んだ時、こいつは僕の尻を叩く。

僕のブログの題名は、no regret lifeだ。
「後悔なき人生」
いや、実際は後悔の全くない人生なんてありえないし、そんな奴いたら、むしろなんだか人間性に問題あるんじゃないかと、気持ち悪い。笑
でも、人生いつ途切れるかわからないから、その時なるべく後悔の少ない選択をしたい。
何かを選択する時、なるべく後悔をしないほうを選びたい、という意味だ。
Amazonの創業者ジェブ・ベソスが、事業を立ち上げるか今やっていることを続けるかを考えた時に、regret minimizationということを考えた。要するに、後悔を最小化するような選択をしようということ。
だから初期の僕のブログは、日本語で「後悔最小化人生!」だった。
でも、それだとあまりにストレートでダサく感じたので、no regret lifeに変えたのだ。

人生はいつ途切れるかわからない。だから、なるべく死ぬ時に後悔の少ない選択をしていく。

実は、僕自身、一度死に近づいたことがある。
5年前ぐらいに、急性喉頭蓋炎にかかったのだ。
これは、気管と食道を分ける、蓋というか弁の部分、それからその周辺が腫れあがり、下手すると突然窒息死するコワい病気だ。
急きょ入院させられ、いざという時のためナースステーションに一番近い部屋になり、手術をして気管に穴をあけ、その後3週間病院にいるはめになった。
このとき、僕は自分の人生で、物理的に一番死に近づいた時だった。
でも、なんだかあまり自覚はなかった。
(この辺りの体験談は、「お笑い入院体験記」につづってある。こんなのを書いているぐらいだから、自覚は全くなかったのだろう。笑)

その後、もう一度喉に変調があって、その時のほうが「やばい死ぬかも。ここで終わるのか?」とビビったが、こちらのほうが何ともなかった。

で、僕が何かを悩んだ時、ふとしたとき、なんだか気が緩んだ時、「人生いつ終わるかわからん。後悔少ないようにせなあかん」と思って心に思い出すのは、自分のこの臨死体験ではなく、先の後輩のことなのだ。

この後輩には、彼女がいた。
彼女も、後輩の上京と一緒に、大学で東京に出てきた。
一緒に飲んだりもした。
後輩が宮崎に帰る時に、彼女も一緒に帰った。
そして、ほどなくして、二人は結婚した。

その彼女から、今日メッセージが来たのだ。
母校の甲子園出場をきっかけに。
写真を見ると、大きな子どもが二人写っている。立派な母親になっている。

とても嬉しかった。
そして、僕は彼女に、今でもたまに後輩のことを思い出し、尻を叩かれているんだということを伝えた。
彼女からとても嬉しそうなメッセージが返ってきた。後輩も喜んでいるだろう、と。
またアイツが僕の尻を蹴っ飛ばした。今度は嫁をよこして。


今日、甲子園で頑張った後輩たちは、こういう素晴らしいプレゼントも僕にくれたのだ。



試合中のfbのコメントで、ある友人が甲子園に出場した後輩たちを称え、冗談交じりにコメントしていた。
「後輩の一生懸命な姿見ると、思うね。僕たちみたいな大人になるなよ〜!」と。
「僕たち、じゃなくて、お前みたいな、だろ!」という総ツッコミのさなか、別の友人が言った。
「いや、俺たちが後輩たちのような大人になろう!」

そうだ、その通りだ。
俺たちが、あの後輩たちのような大人になろう!
そして、あの後輩たちが誇れるような、先輩たちになろう!
そのためには、変に大人になっちゃだめなんだ。
あの応援団長をやっていたときのような、純な悪ガキのままで居続けることが大事なんだ。

後輩たちの甲子園初出場をきっかけに、色んなものをもらった日だった。


今日はとてもいい日だった。


追記エントリー:「亡くなった後輩の嫁が、メッセージをくれた。」

posted by nao at 22:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いろんな思いが交錯する出来事でしたね
この母校の甲子園出場がきっかけで 私にも いろんな 環境の変化や 人との出会いがありました

あの時代に 一瞬でも戻れたような気がして すがすがしい気持ちでした
と同時に 年を重ね 純粋な気持を忘れた 『己』 にも気づかされましたが(苦笑)

生きているということの ありがたさと 生かされているという 感謝の気持ちを きみの このブログを通じて 改めて感じることができました

ありがとう

きみの前年応援団長より
Posted by 西浦 at 2012年03月27日 10:18
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