2012年01月04日

Jobsは究極のSであり、それが成功の要因だったのだ

ふと目にしたこの記事。
「再起動、再起動、再起動−ジョブズが遺した14のレッスン【12】」

ティム・ウーなる作家兼コロンビア大学教授がスティーブ・ジョブズについて書いたものだが、ハリウッドとシリコンバレーを比較しながら、ジョブズのやったことはシリコンバレーにエンタテイメントを持ち込んだことだ、というような趣旨。
詳しくは本文に譲るとして、僕は次の一節が気になった。

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観客は映画がもたらすファンタジーに身を委ねたがる。同じように、どんなに自由や選択を叫ぼうと、人は誰かに管理され、自分の代わりに選択・決定をしてもらいたがっているということをジョブズは理解していた。ジョブズが下した選択・決定を人々は愛した。
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僕はこれを読んで、ある言葉を思い出した。
たまたま何かで読んだのだが、それは、Mな女性が言っていた言葉。
正確ではないが、こういう趣旨。

「みんな誤解しているが、Mというのは何も、痛いのや苛められるのを喜ぶ人種のことじゃない。本当のMの意味は、『コントロールされることを喜ぶ人』のこと。自分の意志や選択を他人に管理されることに喜びを感じる人のこと。だから、相手のSは、安心して委ねられる人じゃないとダメ。自称Sは、単にイジメるのが好きなだけだったり、怒鳴ったりして高圧的な態度をとる人がいるが、全くSの本質を理解していない。本当のSは、Mを脅して無理やり言うことを聞かすのではない。Mの要望を言葉にせずとも汲み取って、先回りしてコントロールする人のことを言うのだ。」

たしか、こんな内容だった。

「おお、なんだか哲学的で核心をついた言葉だ。」我ながらアホだと思いつつも、目から鱗が落ちる思いがした。
「おい、お前、そんなんどこで読んだんだよ!」とかそういうツッコミはナシで。(汗)
断っておくが、僕はそれ系のマニアではない。僕の趣味はどうでもいいのだ、大事なのはそこではない!(バンバンッ)

先の教授の言っていたJobs評を読み返してほしい。
まさに、このM女の語る理想のS像そのものではないか。

消費者の心のヒダヒダを読みとり、「あんたらが狂喜乱舞するもの俺が作ってやっから。どうよ、これ?これでしょ?あんたらが欲しがってるものは」
消費者のM性を見透かしたように、こういうのが欲しいんだよね?そうでしょ?と、商品を皆の眼の前に提示するJobs。
これが大げさだと思うなら、Jobsの新商品発表のプレゼンをyoutubeで見てみるがいい。

こうして提示されたJobsの決定を、消費者たちは受け入れ愛す。ワガママな消費者を装いながら、その実ね。
「いやいや、俺はMの趣味ねーし」という貴方。
実は貴方もこういう傾向があるのです。
行動経済学によって、人間は選択肢が多すぎると逆に選べなくなってしまうことが分かっている。
自分たちに選ばせろ!と言いつつ、選択肢が多すぎると結局選べずに購買を控えるのが普通の人間なのだ。
本当は、購買にたどり着くために、管理し選択してもらいたがっているのだ。

Jobsの商品の創り方は、選択そのもの。
それは、例えるなら、塑像ではなく彫像。
塑像のように必要なものを足していくのではなく、彫像のように不必要なものを削り取っていく作業なのだ。
何を削り取っていくのか、まさに選択の連続。
Jobsによって、極限までに機能とデザインを削り取られ選択されまくった結果、最終の姿となったのがiphoneであり、ipadなのだ。
消費者は、自分の代わりにJobsに選択してもらいお膳立てされた商品を、受け入れ愛でる。

Jobsは、消費者が欲しがる「次の姿」を読みとれるからこそイノベーター足り得た。
イノベーターとは、皆が欲しがるであろう「次の姿」を妄想できる、究極の消費者のこと。
つまり彼は、商品供給者である以前に、究極の消費者だったのだ。
それはあたかも、究極のSが、Mの心理を手に取るように理解できるという意味で、究極のM性を持ち合わせているのと同様に。

「どう?こういうのが欲しいんだよね?」
「はい、その通りです、スティーブ様。」

SteveのSは、究極のサディストのSだったのだ。
そして、彼にとってMarketのMは…、みなまで言うまい。
posted by nao at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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